2014年12月28日

八十路の節目に

今年も僅か3ヶ日となりました。

高齢となって遠い昔を振り返る時に、昔は高齢となった長老が、家族の中心の位置を占めて正月を
迎えていた記憶がありますが、昨今は老夫婦のみや、正月に一時的に家族が集まると言う感じで、
長老の家長的存在の影が薄まっているようです。

私の祖父は、朝晩仏壇にお経を上げていた光景を今でも覚えていますが、私もその点は同じ生活の
一部ですが、掃除や洗濯、食事などは自分でやっています。

新年の準備で、何時は手の届かない各所の掃除や、年に一度のエアコンの掃除も終えて、ホット
一息としたい処だが、近年に始めたパソコン作業が日課の一部として定着となり、家事の合間は殆ど
その時間を過すことで生きている様なものとなっている。

その他くれは何処でも同様と思われるが、年の終わりの節目と、知人友人との忘年会や挨拶など、
そして恒例の年賀状書き、正月の買い物などなど、多忙とけじめの月となり、現役のときと同様以上
に本当に忙しい。

そして、八十路の節目も身体の節目となると言われているので、これも気にすると先の見えた余命
での終活は、家族に対し、一段と自分の在り方にその責務を感じる。

幸い、身体がまた動くので、動き放しで進めている感があるが、年の節目を意識しながら、後の終活
目標を完了するのに、可なりの日時を必要として懸念される。

現代の長老は、年金の貧乏人生で、孤軍奮闘的「足るを知る」の生き方が向いていると自分を納得し、
又の良き新年を期待している。

現代の長老は、その節目節目で家族との団欒を持つ家庭生活などの、楽しい晩年であろうか。
そんな昔のゆったりとしていた家族環境が懐かしく感ずる。




posted by 猪僧老 at 13:28| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月26日

特別養護老人ホームに老婆を訪ねて

隣町の特老ホームに入居していて、車いすの生活をしている法華経のご信者の老婆がいる
のですが、毎月その様子と、ご一緒に御法様にお看経(お参り)をするために、訪問している
のですが、今日は少し寒いながら天気がよく、お看経をした後、昼食の前に外に散歩に出かけ
ました。

太陽の日が何時もより温かく感じましたが、師足ともなると矢張り外は冷たい風が吹いて、
老婆には、上っ張りとひざ掛けをしてきた事が良かったようだ。

車を止めて、耳が遠くなった老婆に、困っている事は無いかと尋ねると、何も無いと言います。
息子さんとは、たまに会っていますかと尋ねると、全く会っていないと言います。
身体の悪いところで気に成るところは無いですか。と問いますと、お陰さまで何もありません。
と言います。
家族の誰にも会えず、寂しくないですか。と尋ねると、寂しくないと言います。
もう正月なので、来年は幾つに成るのですかと尋ねると、分かりませんと言います。
では、生年月日は何日ですかと尋ねると、暫く考えていましたが、大正11年との返事があり
月日は覚えていないと言います。

大正11年とは、今93歳と言う事で、長く知人であるのに歳は聞かずにいましたので、未だ、
80代と思っていましたので、いささか驚かされました。

施設には、その資料はあるのですが、個人保護法から閲覧はできないので、その年が正確か
どうかは分かりませんが、子供にも見放されて、何時他界するか分からない状態ですので、
もしもの時の他への連絡や、訃報等に、正確な年齢は必要となります。

長男が近くに居るのですが、全く接触が無く、連絡もしても返事が無い状態で、今何事も無い
状態が、少しでも長く続いて欲しいと願うばかりです。

ただ、一人で特老ホームで生活していて、欲も無く、家族にも会わずに、何も考えずに淡々と
人生を過ごしている姿を見ますと、これもまた幸せの在り方と感じた次第です。




posted by 猪僧老 at 19:35| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

年末の終活

毎年年末となると又1年が過ぎたかとかと思う気持ちに、終活の1年が気に成ります。

この1年は、時間を惜しんで日々を過ごしてきましたが、目指した目標に到達できず、
相も変らぬ貧乏所帯と介護家事生活を続けております。

先週は、年3回の退職組の忘年会があり、色々と現在の様子を語りあいをし、その内容
が在り来たりのものですが、それなりに楽しいひと時を過ごす事ができ、終活の意義ある
一時となりました。

これも身体が健康であるが故できる事でありますので、本当に体に感謝です。

私も後期高齢ながら、ネットビジネスの世界を学習していますが、今年はパソコンが
不調で本当に辛い思いをしました。

又個人のネット業界の不良や不正な事も色々経験をしています。

命もお金で売り買えできるとされるこの時代は、資本主義社会の終焉と言えるでしょう。

新しいものや科学が物珍しさから目を向けられ続けていますが、人が人たる由縁を
忘れ去っている時代となり、人の幸せも金持ちとなる事に主眼が置かれている社会で、
貧乏老人の生活や終活は、その枠が小さいものとなり、社会からの存在価値も薄れ、
目立つのは、高齢社会の医療費と言う、これもお金の問題となって、税の増加が言われ
ています。

この社会を振り返り考えますと、科学の進歩は、社会の生活コストとして増加しており、
それが税金でもあり、給与でもあります。

給与は、世界でも先進国の仲間入りをした高額となりましたが、その分生活費が上がり
実質の取り分はこの10年以上増えていないのが実態で、これも社会生活コストが
それ以上に上がってきたためです。

年金生活者は、年金の切り下げと物価高、税の増加で、益々生活が困窮化していおり、
こんな社会を若者が見た時、国も、将来も希望の持てないものに映るでしょう。

集団的集約から個人的分散に無い、社会経済勾配が、中堅層から二極化に向かう
日本は、更に社会を不安定にし、政治への関心も薄れ、心の離散が増進します。

あまり先がない私たち高齢者ですが、この流れが長く続くと思うと、この国の将来を憂い
ざるを得ない心境に成ります。

日本の政治は、本当の国民の幸せをもたらしたのかが、問われる問題として、心に留めて
心の渇きを潤わしながら、更に、終活を実のあるものにしたいと考える毎日です。



posted by 猪僧老 at 13:41| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする