2015年09月22日

シルバー週間に日本の集団的自衛権を考える

民主主義国家として戦後70年を経た日本の政治に、「民主主義とは何ぞや」と、

今更持ち出すことは、違和感を覚える人もあると思いますが、戦後の70年は、

民主主義と言う名のもとに、多数決の力学が民主主義のスタイルとして来たきらい

があります。


今回の安保法案の賛否を巡り、国会前にこの採決に反対を唱えて参加した、

老若男女を含めた多くの民衆が、主権者の1人として、間接的ながらもデモ

と言う抗議の形で、国会の議決に加わり、自分の反対意思表明を行いました。


今回830日の国会前デモは、12万人に上る規模と報道されています。

60年の安保闘争は、学生が中心のデモでしたが、55年を経た今日、それを

上回る抗議デモとなったことは、如何に、この安保の違憲見解や武力行使の

内容に不安があるかを表したものとなりました。


しかし、自公の与党と、野党の一部の賛成多数で、安保法案は議決され、

民主主義の基本である「少数派意見の尊重」の理念が無視された多数決での

結果となりました。


これはそもそも自公与党の「一党多弱」の国会そのものが、民主的体を示して

いないことと、その審議の内容に多様なテーマを含むものを包括的な一つに

まとめての審議であり、最初から咬み合わない次元のもので、細かい内容の

審議は除かれ、その01かの枠の争う重点審議となり、審議内容の消化不良

が重なり、民意の不安対する論議が欠如したものとなりました。


何故、阿部内閣は、この法案を今季通過を目指したのかは、見解の分かれる

ところですが、間違いのないことは、日本の安保に対する米国の武力関与の

要請がその背景にあり、それが今回の包括審議と言う「セット」の形で提示さ

れたものです。


米国の国会では、「日本の国民の安全を何故、米国の国民だけが、その命を

賭けて守らなくてはいけないのだ」と言う声が強くなっていますし、米国の

傘の下で、「金」でだけで、平和を唱える日本に対する反感があります。


この背景には、阿部首相の今年の4月の米議会演説から始まります。

阿部首相の演説は、中・韓・ロシアの「反日統一共同戦線」と、米国の意向に

反し、靖国参拝で問題視され、米国の頭越しの中国接近など、国際的苦境に

立たされた日本が、阿部首相の米国訪問を機に、その関係強化を図る目的での、

米国議会演説をし、それから今回の「安保条約」まで、阿部内閣は、米国の

信頼できるパートナーとして「安保条約」で日本の決意を示すものとなったのです。


従いまして、初めから「安保条約」の集団的自衛権の解釈変更の法制化は決

まっている審議であり、故に、民主主義の国民目線次元の自衛ではなく、日米の

政治的関係強化のための「集団的自衛権」採決だったのです。


尚、日本の「選挙制度」にも大きな課題を残し、国民は「一党政治」の選択を

せざるを得ない状況にもあり、先進国としての、民主主義制度の在り方を再考

する必要があると考える。


このシルバー週間の敬老の日に、高齢者は日本の将来をどの様にリードすべきか

を考える時を持ち、自分の終活を、将来の世界に貢献できるものにしたいと考えています。


このままでの政治と国民の質では、国際的に日本がどのような国になるのかが

分からず、本当に心配です。




posted by 猪僧老 at 17:37| 東京 ☀| 定年ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月19日

終活と余命

長く生きていると多くの経験をすることは当然のことであるが、
先を数える身となり、改めて感じる事は、それらの後始末が、
今に効いてくると言うことです。

私の終活は、その為に結構大変なものとなっている。
事の大小はあるものの、夫婦のこと、子供の結婚後の問題、
借金のこと、介護のこと、身体のこと、そして、今後の生活の
事などが山積し、力の無くなった年寄りには、いささか堪える
問題です。

お金で解決する問題も半分はあるが、その他は、交際や
長年個々に蓄積された考え方のことなりも大きい。

就活は、これらが凝縮された生活となるので、体力、資力、
知力が衰えた処理と対応となるので、解決が遅くなり、
生活の焦りとなっている。

歳を取ると、時間が早いとはこのことであろう。

他に悠々自適の人々を見る時、未だに減衰しない自分の
過去の波動が、その残像として蘇り、新たに余命の必要性を
感じている。



posted by 猪僧老 at 10:46| 東京 🌁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

武士道と平和外交

八十路を過ぎて就活の時、日本の将来が気になります。

メールの記事に、「武士道」がありました。


現在は、「武士道」と言っても、古典的言語と受け止められることも多いと思いますが、

武器を取っても、「人道」を失わない理性ある戦いは、永遠のもので「日本の宝」であり

誇りでもあります。


殺し合いの戦争と日本の武士道

http://editor-ex.jp/Lbk42534/34121


このお話は、日本が初めて世界を相手として戦った第一次大戦と言われる

戦争で撃沈した敵艦の兵士を救助した日本海軍の誇りとされた武士道の

「真実の証言」です。


日本の「武士道」は、古代から武力を用いて生死を境に戦った農民の歴史で

積み上げ、練り上げられた武人の「DNA」と言えるものではないでしょうか。


武器を持っての戦は、他の人命を奪うものであり、自分の命を護るものでもあり、

農耕民族の日本人は、戦が起こると死活のために武器を取り、故に、その武器

の使用人は、他と自分の命の、人の生死を深く考えるDNAを養い続けたと思われます。


このお話は戦いの勝敗を超えた、互いの命の尊さと、互いの愛国と家族への

愛のため、自分の命を掛けた誇りある戦いに、同士として尊敬する、精神と

行動が語られています。


この様な命の尊さを分かち合う心が、人間の価値であり、この価値ある人道的

精神が、真の平和世界への原動力になると感じるのです。


伝統的な「日本の武士道」の高潔な人道は、日本の平和外交の要となるものです。




posted by 猪僧老 at 10:44| 東京 ☔| 日本の将来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする