2016年01月25日

世相と人の輪廻(3)平和とは

一般に平和とは、「戦争と平和」の両翼の対義語となり、その戦争や内乱などで、「社会が乱れて

いない状態」を言われます。

又、「誰でもが常時「幸せ」な生活を送れること」とも言われます。


専門家は、戦争とは「目に見える具体的なもの」ですが、平和と言うのは至って「抽象的な

概念なもの」だと言うことで、その持つ意味は、どちらが世俗のコミュニケーションとし

て伝わりやすいかと言う問題に関係していると言います。


それは、戦争など争いは人の頭に瞬時に現象化できますが、平和は抽象的で、その現象化や

言葉にすることが難しいことです。故に、有事における世論は、戦争を平和より優位に位置

付ける状態にあると言えるのです。


ここで、再度「平和」に論点を戻しますと、平和には、「国の平和」と「個人の平和」の

二極の観点があります。


「国の平和」とは、集団の平和であり、社会や家庭などの平和を「外観の平和」を指し、

「内観の平和」の、一個人の平和感と異なります。


ただ共通な言葉での「平和とは」は、その状態が「平穏」であると言うことです。


そして、「平和」は、「幸せ」を包含しますが、それは同一のものではなく、共に変化しな

がら繰り返す輪廻のものです。


人など動物は、己の動性感情を持ち、己の知性感情の欲求を含め、共に都度変化することで

争いの種となり、「平和」も「幸せ」も定まらない道理となるのです。


故に人は、「平和」と「幸せ」を生命の輪廻を超えて、恒久に求め続ける事になります。




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世相と人の輪廻(2)カネと幸せ

先に、近代化の流れは、「モノづくり」から「カネづくり」へと変遷したお話をしましたが、人の「幸せ」は、

近代化で進化したのであろうか。


世相を見ると経済的格差が広がり全般的にカネで「幸せ」になったと思えない現象が多々見受

けられるし、少数派の金持ちと言われる人たちの中でも、カネのために働き続ける「カネの奴隷」とな

っている人達も多く、マネーゲームの世界も、必ずしも幸せとは限らないことが分かる。


時代は、世界は、何を目標に近代化をしているのか。そして、人は何のために働き続けるのか

を考えざるを得ない。


もともと金も物と交換するために考え出されたものであり、カネもモノと考えると、「幸せ」

を作る手段とはなるが、幸せそのものではない。


カネが小額でも「幸せ」の人は多くいます。

それは、「幸せ」は精神的感情であるので、物質の「モノ」ではないからです。


こう考えると、「モノ」も「カネ」も生命での「幸せ」の手段とはなるが、「幸せ」そのもの

ではなく、人は「幸せとは何か」の本質を考えなくてはなりません。


又、「幸せ」を考えたとしても「幸せ」にはならないこともあり、「モノ」も「カネ」が少ない

人では「幸せ」の人がいる事を考えた時、「幸せ」の手段した「モノ」も「カネ」の目的は、

何を意味するものなのか。・・・




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2016年01月20日

世相と人の輪廻(1)

人は世相の流れに没落して生きているが、最近の世相を見ると大きく変わってきている。

人は生きるために、先ず糧を求めるが、現在は基本の「衣、食、住」がそれなりに満たされると
その他の事や物に目が向くが、現在のようにモノ余りの社会では、その不足時の物事を補う
お金が一番の価値を持つ。

ために、お金を求めるようになり、その為に働くが、そのお金を持つと時間が欲しくなる。
時間のために、お金を求める働きを止めても稼ぎ仕組みを考え、それで、時間を作るようになる。

時間も出来、お金も出来れば、自分の更なる欲求を満たすために、そのお金と時間を使う。

そして歳を取り高齢になると、その自分の欲求も低下し、他人の物事に目を向けるようになる。

しかし、現在の世相は、このシナリオ通りに成らない場合や人が大半であろう。
人も産業も同じで、世相に適合しなければ、適合できる世界へ移行して、その自由と安定化を図る。

必ずしも日本にいる必要もなく、自己の自由と安定を図る。

そして、そのお金と時間を使い自己の理想のシナリオを求めながら人生を終わる。
これは、殆んどの人の望むところと言えよう。

しかし、世界の国々が分化する現在の世相は、グローバル経済の中で、固有のアイデンティテー
や文化を求めるようになり、経済の統合化とは矛盾するムーブメントが産まれてくる。

人が求めるお金と時間の自由は、中東のシリア難民などが示すように、1たび地域紛争が生じると、
そのシナリオはもろいものであることが分かる。

正月も過ぎ、この1年をどう過ごすか、どう生きるか、など、残り少ない人生にある、私に、
高齢経済弱者のシナリオは何が理想かを考えさせられる。



posted by 猪僧老 at 15:27| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

八十路を過ぎて思うこと

人の身体は、無酸素体質で身体が成長し、成長が止まると有酸素体質が優位となり、
そこから高効率有酸素体質に変わり、佳澄を食べて生きられる仙人に成れると言う。

確かに、母の胎内の無酸素呼吸からミイラになるまで枯れてい切れる事が、人の生き方の
醍醐味と言えるのでは、と最近感じるようになった。

八十路を過ぎても一向に「死」を感じない現在であるが、「死」が血数いている事は、
冷静に感じる事ができる。

それは、若い時と比べて無理が効かなくなったことである。
昔から歳の節目に衰えると言われ、60代、70代と過ぎて、その都度心身の衰えを一部を
肌身で感じているが、80代に入ると、頭、気力、体力、集中度合いなど、全身的な衰退を
感じ、100のものが80で精一杯の感じである。

食が細くなり、身体の動きが少なくなり、坐して長らえる時がいずれ来るはずで、もしかして、
仙人の領域に達するかもしれないと思う。

病気をしたとしても、この歳となるとそれが寿命として受け留められると感じていて、今更
バタバタする必要はない。

ただ、困ったことの一つは、この人間社会では、自分の葬式代と永代供養の予備金が
残るかどうかで、それが気になる。

長生きもいいが、ころ合いで死にたいと思うが、こればかりは、体が行きたいと支えてくれる
以上は、裏切ることはできない事で、ままならぬものと悩むのである。

身体の応援を借り、それに感謝して、最後まで自分のミッションに歩むのが生きると言うこと
であり、老いても金ではなく、それが人の道と言うものであろう。




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posted by 猪僧老 at 16:27| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする