2011年07月19日

日本と仏教2「生死観」

人は必ず死ぬことは、自然の理、真理としてすべての人に認識されており、特に高齢になるり、
平均寿命との対比した頃となりますと、その生死観に個人の宗教や哲学や思想などによる変化が現れます。

そして、人間の生とは何か、死とは何か。死後の世界は、霊の存在は等、であり、この生死観が、
その人の行動を先導又は決定するようになります。

死後の世界については、誰しもが、科学的な実証や検証が出来ないもので、故に、この可否の議論の決着は
永遠に続くこととなっていますが、その議論の大切な点は、その人の宗教や哲学や思想の「生死観」が堅固や
人格としてに育成される事です。

さて、この「死生観」を心の側から観るものに、宗教があります。

只し、一口に宗教と言いましても、多様多種な人の宗教観によるものから、これも、宗教、哲学、思想的レベルまでの、
多種多様な宗教的な形で存在しています。

そこで、現代の宗教としてお話しするには、宗教の定義付けが必要となるのですが、残念ながら、学者でも無理な事で、
この定義づけをするつもりはありません。

それは、宗教者、哲学者、宗教学者などで、これ又、非常に多数の宗教の定義があるからです。

次は、その一例ですが、この様な解釈や理解が多いようです。

超自然的存在が自明のものであるかのように振る舞う。このように、人々の信念や振る舞いを方向づけるものとして、
人間が作った仕組みが宗教である。( 岩井洋 関西国際大学教授 )があります。

私の感得は、悟りと人工的な解釈とに、可なりの異なりを覚えます。
しかしここでは、これら離れて、世界三大宗教の一つ、仏教についてお話を進めたいと思います。

ここでお話しする仏教とは、多様な「仏教的」又は学者の唱える私的観の「仏教論理」の仏教のお話ではありません。

既にある仏教経文の、釈尊が教導する、仏教の経典で定義されている「真の仏教」のお話です。

この中に、今回の「死生観」を示す極めて重要な鍵が明かされているのです。

その「極めて重要とするカギとは何か」を次の機会に触れてみたいと思います。

           
             正しい仏教信仰を社会に
posted by 猪僧老 at 15:54| Comment(0) | 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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