2011年07月31日

原発廃止の理念

毎日、政治的ニュースに登場するコメンテーターの意見に、しばしば疑問を感じている。
政治的ニュースにも色々あるが、今回は、この大震災で幾多の尾を引く課題が継続しているが、大問題の原発継続の是非問題がある。
数日前に、管首相が、個人的意見として、日本の脱原発発言を行っているが、その後今回の九州電力のやらせ問題まで、その是非を廻り連続の紆余曲折ニュースである。

政治家の質が問われる日本であるが、この原発継続の課題について、コメンテーターの意見が、客観的なのか中立的なのか、その場の抽象的発言が目立つ。

社会的課題で、大きな問題由課題が出れば、政治場面の有識者として意見を述べる、その域の専門の実力者である人たちが、人々に真実と社会をリードする報道において、この様な態度では、軽蔑せざるを得ない。

首相もこの国民的大問題を個人的意見として発言するなどもっての外である。

有識者や専門家と言われる人は、一体どのような資質を持っている人なのか。
オーム真理教の幹部に東大出が多かったような、状況にならないことを願う。

私は、原発問題は社会科学を超える、そして、現科学・技術レベルを超える、人の命、即ち人類の存続の是非を問う「理念」の問題として捉えるべきで、現状も尚課題山積の原発廃止を決断し、廃止とその処理の社会科学的課題を、いかに早く進めて行くかを整理することが必須と考える。

原発処理問題も又、放射線など幾多の問題解決に、永い年月を要するに違いなく、国民は氷山の一角を見ているに過ぎないと確信する。
posted by 猪僧老 at 10:40| Comment(0) | 原発と被爆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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