2011年07月31日

高齢者私の「好い子ぶり」(慢)と「肉眼」の選択で

人生を80年弱経験して、自分の精神的弱点を多数感ずるが、その一つに「人を見る目」があります。
色々の失敗は、その「人を信じた」ことの件数が、圧倒的に大きいのです。

例えば、親友の窮状の救済、友人の返済肩代わり、各種投資、企業経営、そして妻、選択などは、全て、直接間接のその人を信用して行った自分の行為です。

その結果は、その深浅はありますが、惨憺たる失敗でした。

「その人を信じる」ことのが「人に裏切られる」嵌めになり、それが「失敗の人生」に繋がります。

その人を信ずる、即ち「人を見る目」が、その時点でのその人を見ているのですが、その人の将来を含めて、自分の判断力が、自分の信用する条件を満たしたに過ぎず、「その人の人生」は見えていないのです。

仏教の意識の世界に「九識」あります。其の内「身体が感じる五感」と見えない「意識」六感と、「潜在自我意識」を加えた七感までが、通常生きている人間の意識行為であります。

が、これに連動する「五眼」があります。それは「肉眼」「天眼」「慧眼」「法眼」「仏眼」を言います。

しかし、悲しいかな、人は、この内の「肉眼」で見ることしかできません。

故に、この「七識」と「肉眼」の選択が、ことま成功を「人を見る目がある」失敗は「人の見る目が無い」と言われます。

即ち、私の人を判断する「目」とは、「肉眼」と「七識」までを駆使して行われたのですが、見事に失敗です。

そこでの反省ですが、「人に良くしたい」「人を助けたい」と、その時点では刹那的真剣にそう考えていますが、これらの意識は、自我意識まで、仏教では「煩悩」に当ります。

「煩悩」にも無数の煩悩があり、数珠の数と同じで一般には108煩悩と言われるものです。

では「煩悩」が悪いのかと言えば、そうではありません。

私の失敗は、自分の煩悩の一つ、

1.「人のため」を(善意)(愛)と捉えたこと。
2.自分の、例えば「親友」「妻」などの関係を、一点重視(慢)であったこと。
3.その解決を急いだこと(見)に、自分の人生のバランスを見失ったことにあります。

即ち、「法眼も無い」(愛)が、自分の人生も見えもていない時の判断(慢)で、自分の人生を狂わす判断(見)となったことです。

良く人の言われる「好い子ぶり」です。

                                    心の旅路
posted by 猪僧老 at 13:16| Comment(0) | 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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