2011年08月06日

信念と信仰

改めて、信念とか信仰の意味を考えますと、哲学的になったり、宗教的になったり、人の持つ理性を総動員して考えるのですが、中々答えが出ませんか、普遍的には、国語辞書の、「正しいと信じる自分の考え」と「宗教を信じる気持ち」とあり、そして又、「信念=信仰」ともなっています。

又、「信」とは、嘘や偽りの無い言葉、「真実」「裏切らないもの」の、人間界の「真理」、即ち、「信」とは「真」を意味します。

共に佛語から来た言葉で「正しいと信ずる気持ち」と言えます。尚、佛教では、「六感の意志」に存在します。

通常の生活では、この心は表に現れるものではなく、その人の心の「根っ子」に収まっていますが、事ある時に、その姿を表面に現わします。

儒教のバイブルの「大学」に、止まるを知りて定まるあり「知止而后有定」と言う言葉があります。
信念も信仰も、この積み重ねで成長すると考えます。

さて、現在では信念と信仰は、一般的に、異なる観念で捉えられていますが、「正しいと信ずる気持ち」の
「正」と「真」の観点が、個人的なものと、各宗教論(内外宗派)のものとで、その意味が同じものと、異なるものに大別されます。

さて信仰ですが、宗教的には、「宗教を信じる気持ち」から深掘りして、「信じる宗教」となります。
「信じる宗教」とは、「真理の宗教」、即ち、「全宇宙(万物)の真理を悟る(学ぶ)教え」と訳します。

信仰とは、「信」を「全宇宙(万物)の真理を悟る教え」知り、「定」その教え(教典)に、「仰」帰依する姿、これも「知止而后有定」の一つの姿と言えましょしう。

この「真理」を信(言葉にして)じて、自分の人格向上と悟りの境地に邁進する姿勢が「信仰」と言えます。

信仰を持つことは、心の定まる「信念基盤」を持つことで、その人の生活全般に「揺るぎない活力の姿」となるものなのです。


                     末法の今 真の仏教
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posted by 猪僧老 at 11:37| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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