2012年02月11日

普天間問題と日本の憂国

普天間問題が各分野に議論を呼んで混迷を深めているが、次のニュースで、愈々憂国の感が強くなっている。

田中大臣の憲法の棒読みに対して、
憲法9条を辿ったのはよいが、「武力による威嚇と武力行使の放棄」を謳っているが、「憲法9条で軍は持てないと書いてある。自衛隊とは何か」と石破議員に問われ、田中大臣は「必要最小限の国を守る専守防衛の部隊だ」と答えたという(読売2月8日付)。

この答弁について、ネットもマスコミも、“田中はアホだ、と批評や避難がなされている。(しかし)・・

この答弁の正当性について、憲法制定当時の、衆院の帝国憲法改正案小委員会の芦田均委員長が、憲法9条2項の前段に「前項の目的を達するため」という文言を入れたこと、がその論議をなお複雑にしている。

自民政権では、この修正を根拠に自衛力を展開しているが、政府は「芦田修正」を政府解釈の論拠としていないので、田中大臣の答弁が正しいと言う事になる。

即ち、「前項の目的を達するため」を入れた事で、第9条をめぐり、不戦か、戦力の否定か、自衛戦力の保持とするか、戦力有無の二極の解釈が出てくる。

さて、自衛権の有無も問題にはなるが、国民の大半は、この自衛権に対しては、
国民の生死であり平和的日常生活維持であるので、異論のない事と考える。

この延長戦で、自衛戦力の保持、自衛隊、そして、自衛軍と拡大するが、ここでの問題は、「戦力」と「自衛」の解釈との関わりにある。

専守防衛での自衛戦力も、その拡大解釈で如何様にも変化するからである。

今改憲が図られているが、世界における日本の平和維持への理想と現実の狭間で、この課題は両刃の剣であり、国民投票で、戦力保持の承認を取るためにも、随時、国民の自衛に関する意識の高める場と、政府が持つ確りとした、具体的な自衛権の枠組みと自衛戦力の判断基準を明確に公開することが求められる。

国民が自衛権を肯定するならば、この内容を早急に深めて、国民同意のもとに、自衛力や日米同盟の内容を確定して、基地問題に日本国民の意志で再度取組むことであり、基地の設置は、何時までも、米国の保護のもとに甘んずる見識は、米国民に対しても通じないものであり、真の独立国を目指す日本国民としては、単に、反対では済まされない自国民の自衛課題である。
posted by 猪僧老 at 10:51| 日本の将来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする