2012年03月02日

日本の教育

漸く国会の論議を終えて、日本の高校までの教育費の無償化が決まるようですが、経済大国と教育高水準と言われる日本が、基礎教育の無償化が、先進国特に北欧に比して、略1世紀近くも遅れた理由は何なのでしょうか。

しかも、この中等教育までの無償化は、1966年に国連総会で採択されてい事なのです。

正しくは学者の分析を待つしかありませんが、政治理念の欠落か、国民の心がこの制度への無関心さが、ここまでの歴史を作ったのでしょう。

世界のGDPと学校教育公費の比率を見ても、日本(GDP高3位)は、GDP高の低い北欧(30位40位らある)よりも低位置にある事は、その国民性にあるとしか理解できません。

そして今も、財政危機からか、高所得者、私学、外国学校の学費有料化が今なお経済優先的な論点となっているようです。

従来は、幼児の養育は家庭で、基礎教育は学校で、実践教育は社会で、と社会分担が大まかに構成されていましたが、核家族化と経済競争への専門化で、教育の目的も人間教育から技術的マニアル教育の、人、からものへ、そして金へ、と関心が移り、結果、世界の物余りで、経済の方向性を失った事による、最後の砦の社会教育も行詰まりで、社会から人間姓と創造能力の育成が置き去られてきたのではないでしょうか。

社会(成人)が子供(未成年者)を育てることの、政治と社会(国民)の理念が、先進国と比較しても日本が断然低い事は、何を意味するのでしょうか。

資本主義、社会主義、共産主義を問わず、子供の教育に対する日本国民の国造りの理念が、日本に問われているのです。

経済大国となった日本の心が「貧すれば鈍する日本の心」からの脱皮し、世界が理想とする人の教育理念とそれを育成する社会教育環境と構造が必要ではないでしょうか。
posted by 猪僧老 at 13:16| 日本の将来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする