2012年04月10日

原発の行方が日本政治の行方をきめる

福島原発の事故以来、原発に対する国民の意識や見方は可也変わり、今は反対派が過半数になった感がしますが、その反対派の中にも、その安全性如何で、賛成派に変わることも多分にあると思われます。

国会でも、民主党の原発の対応での批判が多々ありますが、野党の自民党は、原発導入歴史から、賛成派が多数でありますし、加えて電力界や原発助成金の依存地域や、電力を必要とする経済界は、こぞってその経済的視点から原発再開ありきの賛成派であるため、原発社会に一時否定的であった、民主党もこれらの圧力に押され、現在は明確な反対姿勢を示さず、むしろ消極的賛成姿勢である。

原発は、この半世紀日本の経済成長を支えた陰の原動力であり、日本経済は円安も加わり、輸出経済で急成長を成し遂げ、その力が錦の御旗となり、聖域となり権域となって、国家的にも社会的にもその地位が擁護されて、厚く護持されてきました。

この地位の驕りと税金垂れ流しの経営の怠慢が、今回の災害で、その姿が各面に露出したのです。

今回の戦争に匹敵する大被害は、安全神話を自然災害があらわにした大人災なのです。

原発は、安全の担保が100%確実な事で、行われるべきで、それは、飛行機や新幹線も、災害が予想されれば、欠航や運転中止の措置と同じことで、災害予想される時は、停止になるべきものなのです。

しかし、自然災害予想の都度止まっていたのでは、その役割を果たす事が出来ないため、原発政策としては、その考え方を受け入れることはないでしょしう。

故に、原発は人工物で100%安全と言い得ないのものであり、火山列島の日本で、この対策が100%整うまでの災害は、人災と言えるのです。

今政府は、未経験と未曾有の甚大な被害の対処に忙殺され、被害の回復と放射線の撲滅政策に全力を払っていますが、さて、日本の未来へのエネルギー理念が定まらぬまま、目先利害が優先して、小手先の原発再稼働の許可をしようとしています。

戦後の走り過ぎた資本主義経済社会の崩壊が日本をはじめ、世界各国で次々と起こる中、現在においても尚、日本丸の舵先を変えることなく、経済のパイの取りゲームを継続する日本国会や、産業の識者層に、減速経済への対応と人の心の豊かさへの政策転換、そして世界平和に対する国策など、日本丸の新しい目的地へ舵を切る、理念や叡智が見えきません。

未だ従来型の、日本の政治家と産業界の識者の考える、「日本国民のため致し方ない」とする姿勢です。

今、北朝鮮の衛星ロケットが、日本も有力な一員となり、世界的圧力で阻止しようとしていますが、原発発明の経緯から、広島や長崎の原爆被害を考える時、それ以上にリスクのある課題である筈です。

北朝鮮やイランなどの他の国に対しては、もの申すパホーマンスを見せる日本の国会や政治の現在の実態は、理想の国創りのため、一つになるべき現代に、情けない体を続けていますし、その議員を選択した国民もこの帰属や課題見識が不足していると考えます。

「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」の人の性(さが)が、又も日本の歴史を惰性化し、事なかれ主義にてしまうのではないかと不安が募ります。

犬の遠吠えが届き、救世主が現れることを期待します。
posted by 猪僧老 at 15:35| 原発と被爆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする