2012年05月15日

選挙と政治、日本は何処え行くのか?

歳をとると色々の事が不安になる。
明日死ぬわけでもないのに、寿命の長さを計算したり、その間のあり方を模索し選択もする。
家庭の絆も加齢とともに薄れて来るような気がする。 この頃は、自分の葬式代も心配になる。
さてと、近年の国の在り方も社会的弱者との距離(社会勾配=高齢者において,極度の貧困と健康不良とのあいだに 関連性があることは長いあいだ認識されている)が拡大しているので、社会的リスクも拡大している。
等々、の中に、近年の政治を観る時に、戦後の国民の価値感とその生き方の多様化による、国に対する期待の多様化が拡大し、 その人々の利益を代表する議員による政治がおこなわれる訳だが、理屈として、多様化した価値の全てを公平に実現する議員が ある筈も無く、国会の中でもその力が流動して、国民の名のもとに、事が決まらない様相が続いている。
本来、選挙区から選出される議員は、その地区の住民欲する価値とその意思を代表するものである筈であるが、戦況の時だけ 日本と社会の利益を掲げて、その知名度だけで、住民からその能力の中味の不評価のまま当選するわけで、住民の期待する 政策能力に欠けたものが多いと言える。
何故なら、その地方議会でも、住民の期待と反する決議が、多数派の政党による多数決で決議され執行され、税金が消費されている。
この原因は、集会などを計画的に持ち、地元の課題を選択し、地道な住民との摺り合わせや合意を積み上げる仕組みや努力が、 極めて不足している事にある。
こんな事で、住民を代表しているとは到底言えるものではないが、さて、考えて見ると、その一票を投票するのは、行政を何時も 批評するその個人であるので、その結果責任は免れない。
従って、住民の利益や考えが纏まらないまま、そして、選ばれた議員も住民の課題を自分なりで判断し、国会では、それら多様な 自己流の価値観を持った議員の集まりが多数決で政策を行う訳で、国民との政策や論点の格差の拡大は至極当然であると言える。
即ち、他力本願で良い政治を期待する方が無理な話なのである。 残念なことに、これらの事態を解決する良策が見いだせない事である。
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posted by 猪僧老 at 11:45| 選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする