2012年06月09日

オリンピックに人間失格の驚異的現象に驚愕

NHK BS1の23:00からマイケル・サンデルの「究極の選択」で、オリンピック開催の意義を、中国、日本、アメリカの学生とネットを結び、学者、芸能人、アスリートをゲストに迎えての討論を拝聴しました。 その切り口は、オリンピックと、国籍、国費、メダルの獲得、選手の育成、薬物、才能と努力、経済効果、個人と国家、参加と開催の純粋性、等から、現在のオリンピックの在り方や意義を論議するものでした。 この中で、選手が競技に人生を賭ける意義、と、国家が威信を賭けたメダル争い、その国民の意識が問われていましたが、競技する選手とそれを応援する観客のナショナリズムとグローバリズムの意識の違いを感じました。 ゲストの中に、国籍に関係のないグローバリズムのオリンピックであるべきとする考える人、記録のみを競う大会であるべきと考える人もいて、この様にオリンピックを考えるのが現代に適合すると考える知識人と言われる人がいる事に、私は驚きました。 その人の意見では、例えば遺伝子の組み換えやドーピングなど、どんな事をしても人間が何処まで記録を伸ばせるのか、人間(身体)の可能性を見て見たいとする意見が出ました。 前段に対する種々の課題はありますが、此処までオリンピックが見世物的に考え扱われるとしたら、又、選手が勝つために手段を選ばない世界があったとしたらと考えると、これらの意見に前提があったとしても、全選手が自国と自分の誇りを賭けたオリンピックの大会を歪めるものであり、背筋の寒さを覚えたゲストの意見でした。
posted by 猪僧老 at 12:40| オリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする