2013年08月25日

平和とは何かを考える 「政治多元主義思想」

私たち高齢になると、人の「死」と、家族の「平和」の意義を強く

考えるようになりますが、宗教の正しい知識とその認識で、宗教の

選択をしなくてはなりませんし、仏教で説く、「樹や草花の背丈や

その色、匂いが変わっていても、自然はそれを共存している」と

する世界は、樹や草花木も川や海、そしてその他の動物たちも、

大きな摂理の中で、互いを認め尊重する世界があることを教えている

と感じます。

 

全ての宗教の経典の目的は、人の人生を正すものであり、人の死後の

居場所を決定するものですので、死後の選択が異なることで、現世の

規律の厳しさが異なりますが、この世の人の生在を、戦争などの

殺戮で犯すことは、人の煩悩のなせる業であり、宗教の教えとは

無関係な、政治の責任なのです。


故に、平和の希求は、諸々の国の主権を尊重すること、国民はその

考えを共有すること、覇権の煩悩政治を止めること。で、「宗教多元

主義思想」より「政治多元主義思想」を、精神的に高める国際的機能

活動家求められます。


 

ただ、心配な事は、「政教分離」などと、表面的常識がある世界ですが、

政治家も、国の宗教や国民の宗教の意義を学習し、他宗教の認識を高め、

尊重する必要があるのです。


これを成すならば、覇権主義の煩悩政治のみが、色々の口実を設けて

戦争を起こすことが分かります。


為政者も国民も、宗教の差異が分かれば、草木の差異、即ち人の身長や

肌の色の差異などの、誠に小さな差異などでは、喧嘩は起こらないのです。

 

 

為政者が戦争を起こす引き金となる唯一つもの、それは、煩悩の無知から

生ずる感情なのです。



posted by 猪僧老 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 「政治多元主義思想」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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