2013年11月07日

父親の自覚と子供につなぐもの

久しぶりに親戚が上京したので、子供達も集まり小宴会となった。
普段はありま話し合うことが少ないが、こんな機会には大いに盛り上がることがある。

仕事のこと、宗教のこと、生活のこと、など互いにコミュニケーションに花が咲く。

こんな一般の話の中で、社会認識や宗教感の違いなどが生じた時、夫々に理解と
反論が生ずることかあるが、こんな時に、親の責任感が湧き出てくる。

大の大人となった子供も己の持論を展開するが、時の教育や経験の子となりから、
人としての考え方や言葉の使い方など、その正しさを示さなくてはならないと考える。

別に、議論せずに無難にその時をやり過ごせばよいものであるが、親の鎌首が持上る。

これが、父親の自覚と言うのか、親と子の常識の異なりを論ずることとなる。

この様な大事な課題が多く調整できることて、永眠への障壁が、少しづつ低くなって行く
と感ずるこの頃である。

私の終活で最大の課題は、正しい宗教の相続ができるかである。
posted by 猪僧老 at 16:55| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする