2013年12月10日

人の幸せを考える「幸せとは」





人はだれ一人幸せを願わない人はおりません。

人がこの世に生まれるのが奇跡なのですから、生まれること自体が
幸せなことなのですが、生まれてからその人なりの色々の人生を
過ごす中で、常に幸せを願っているのが、人と言うものなのでしょう。

しかし
幸せ」とは何だ、と改めて自答して見ますと、一言でそれを
言い表すことが困難なほど、幸せの形があります。

自分自身が感ずる幸せでも、例えば同じ状況にあっても、「幸せ」な時と
そうではない時がありますね。

また、他人の「幸せ」と共鳴しても、その色や度合いは異なるものです。

他の言い方をしますと、「幸せ」とは、他に嬉しさや楽しさ等の
「喜びを与えること」とも言えます。

この様に人は、人の身体、即ち五体を通じて、自己の心に利、又は満足
感を得ることで「幸せ」を感ずることが出来ます。

しかし、都度毎の諸々の幸せは、長く続くものはありません。



が、この度合やその回数が多ければ、幸せ感が多くなり大きくなって
行きます。

そして、生活での幸せ感の積み上げが、その人の幸せの人生となります。

ので、幸せ作りに努めなくてはなりませんが、自分の幸せは、自分だけ
で得られるものと、家族や友人など、他と共に得られる幸せがあります。

自分一人の幸せよりも、他と共有して感ずる幸せの方が、その幸せの
質も量も多くなりますので、幸せ感も大きくなります。

故に、自己の幸せ感は、五感による、美しいものを見る喜びや、人の
笑顔を見る喜び、心地よい音を聞く喜び、美味しいものを食べる喜び、
爽やかな香りの喜び、他に触れる喜び、動く喜び、ものを作る喜び等の
肉体を通じての喜びと、それら全てを媒介として、もう一段奥の、
考える喜びや、推測や想像する喜び、更に、信仰などの宗教的喜びなど、
これら多様な喜びを包括する、心の喜びがあります。

尚、喜びの形は、肉体的五感の喜びの、概して短期で起伏があり、
多量となる「動」の「幸せ」があり、五感から離れた「心の喜び」に、
平坦で少量ですが、長期的で「静」の「幸せ」があります。

そして時に心の幸せは、
[不幸]も「幸せ」に変えてしまう事ができますし、
他人の不幸に対する「慈悲」が、その人の「幸せ」ともなります。

故に「幸せ」とは、その人の「利」と、「心の満足」と言う事が出来ましょう。

しかし「心の満足」は、例えば通常で、美味しいものを幾度も重ねて
食しますと、その美味しさ「動の幸せ」が後退して、その幸せの質が
変わり「静の幸せ」に変化して、これが心に蓄積されてゆきます。

その人の人生が「幸せ」と感じますのは、心の底辺に、この「静の幸せ」が
蓄積されることであり、「幸せ」の大きさは、その量の厚みに比例します。

人の「生」から「死」を迎える時に感ずる「幸せ」とは、その人の心に、
この安らぎの持てる「静の幸せ」と言えないでしょうか。

posted by 猪僧老 at 13:54| 東京 ☀| 幸せ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする