2016年01月08日

八十路を過ぎて思うこと

人の身体は、無酸素体質で身体が成長し、成長が止まると有酸素体質が優位となり、
そこから高効率有酸素体質に変わり、佳澄を食べて生きられる仙人に成れると言う。

確かに、母の胎内の無酸素呼吸からミイラになるまで枯れてい切れる事が、人の生き方の
醍醐味と言えるのでは、と最近感じるようになった。

八十路を過ぎても一向に「死」を感じない現在であるが、「死」が血数いている事は、
冷静に感じる事ができる。

それは、若い時と比べて無理が効かなくなったことである。
昔から歳の節目に衰えると言われ、60代、70代と過ぎて、その都度心身の衰えを一部を
肌身で感じているが、80代に入ると、頭、気力、体力、集中度合いなど、全身的な衰退を
感じ、100のものが80で精一杯の感じである。

食が細くなり、身体の動きが少なくなり、坐して長らえる時がいずれ来るはずで、もしかして、
仙人の領域に達するかもしれないと思う。

病気をしたとしても、この歳となるとそれが寿命として受け留められると感じていて、今更
バタバタする必要はない。

ただ、困ったことの一つは、この人間社会では、自分の葬式代と永代供養の予備金が
残るかどうかで、それが気になる。

長生きもいいが、ころ合いで死にたいと思うが、こればかりは、体が行きたいと支えてくれる
以上は、裏切ることはできない事で、ままならぬものと悩むのである。

身体の応援を借り、それに感謝して、最後まで自分のミッションに歩むのが生きると言うこと
であり、老いても金ではなく、それが人の道と言うものであろう。





posted by 猪僧老 at 16:27| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする