2017年08月14日

何故にお墓参りをするのか

8月13日、天気予報が昨日までは雨であったので、雨上がりと暑さが和らいだ日となり、予定の通りに朝から飯能にお墓掃除に出かけ、待っていてくれた雑草の掃除を、午前中で済ませることが出来た。

女房は病で墓参は出来ないが、子供たちはいとして避けているようだ。

私が、時折仏教の話をしたり、法華経の信心を進めるからであろうが、信仰と対峙しない子供たちを見ると、悲しさがこみあげてくる
これもGHQマッカーサーの戦後の日本滅亡教育で洗脳された日本国民の、自由や民主主義、そして信仰の自由をはき違えている現れと言える、

信仰は、森羅万象の中で、唯一、人間にしかできないもの、即ち、人間が生存する証であり、人間生活根本の精神基盤とるものです。

お墓参りも、その生存と生活の根本基盤の延長にあるもので、ご先祖と自分が向き合い、自分の存在を知り、ご先祖を敬い、自分のルーツを感じる人の行為の一つでありますが、ご先祖への回向は、仏教の法要であり、自分の仏教信仰の功徳を、ご先祖の「成仏」に振り向ける「回向」あり、その場が自分の法華経修行の道場となるわけです。

即ち、回向は、真の仏教「本化仏教」「妙法蓮華経」の、お題目でなくてはなりません。

お墓参りに来る人たちを含め、現代の殆どの人達は、このことに無知であり、悲しいことに、形だけの「お墓参り」となっているのです。

こんなことを考えながらのお墓の草取りですが、さて、自分の死後の成仏を成就するための、永代供養や回向を考えるとき、このお墓の残す是非を考えざるを得ない悩みと寂しさを感じています。



posted by 猪僧老 at 18:53| 東京 🌁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする