2011年12月24日

クリスマスに思う心

今日から明日の12月24日から25日に掛けて、キリスト教の儀式で、クリスマス祭が世界各国で行われるが、クリスマスはキリストのミサを意味し、イエスキリストの誕生祭をお祝いする日です。

イブがあるのは旧暦に起因するもので、本来は24日のから夕方から25日の午前までの1日を意味していると言われます。

誕生祭の呼び名も「降誕祭」「聖誕祭」「聖夜」などの呼び方があります。

さて、仏教では、釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づいて、その法要名は灌仏会(かんぶつえ)と呼ばれますが、その他、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)花祭(はなまつり)など、その国により様々な別名があります。

日本での花祭は、お釈迦さき像の誕生像を、色々の花で飾った花御堂の甘茶で満たした灌仏桶(かんでつおけ)を置いて、柄杓で誕生増に甘茶を掛けて法要が行われます。

しかし日本は仏教の国と言われますが、仏教の灌仏会よりも、クリスマスの方が一般的で、残念ながら、
キリスト教の国のようです。

posted by 猪僧老 at 15:40| 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月06日

信念と信仰

改めて、信念とか信仰の意味を考えますと、哲学的になったり、宗教的になったり、人の持つ理性を総動員して考えるのですが、中々答えが出ませんか、普遍的には、国語辞書の、「正しいと信じる自分の考え」と「宗教を信じる気持ち」とあり、そして又、「信念=信仰」ともなっています。

又、「信」とは、嘘や偽りの無い言葉、「真実」「裏切らないもの」の、人間界の「真理」、即ち、「信」とは「真」を意味します。

共に佛語から来た言葉で「正しいと信ずる気持ち」と言えます。尚、佛教では、「六感の意志」に存在します。

通常の生活では、この心は表に現れるものではなく、その人の心の「根っ子」に収まっていますが、事ある時に、その姿を表面に現わします。

儒教のバイブルの「大学」に、止まるを知りて定まるあり「知止而后有定」と言う言葉があります。
信念も信仰も、この積み重ねで成長すると考えます。

さて、現在では信念と信仰は、一般的に、異なる観念で捉えられていますが、「正しいと信ずる気持ち」の
「正」と「真」の観点が、個人的なものと、各宗教論(内外宗派)のものとで、その意味が同じものと、異なるものに大別されます。

さて信仰ですが、宗教的には、「宗教を信じる気持ち」から深掘りして、「信じる宗教」となります。
「信じる宗教」とは、「真理の宗教」、即ち、「全宇宙(万物)の真理を悟る(学ぶ)教え」と訳します。

信仰とは、「信」を「全宇宙(万物)の真理を悟る教え」知り、「定」その教え(教典)に、「仰」帰依する姿、これも「知止而后有定」の一つの姿と言えましょしう。

この「真理」を信(言葉にして)じて、自分の人格向上と悟りの境地に邁進する姿勢が「信仰」と言えます。

信仰を持つことは、心の定まる「信念基盤」を持つことで、その人の生活全般に「揺るぎない活力の姿」となるものなのです。


                     末法の今 真の仏教
posted by 猪僧老 at 11:37| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

日本と仏教

お盆が近ずき、お墓の手入れなどで忙しくなった来ますが、
東日本被災者の方々で、お墓が流され又は、破壊された人々が可也おられると聞きます。
私も、先祖のお墓の清掃に行ってきましたが、まだ、墓地には、全く人が出ていませんでした。

さて、何時も、日本の宗教に、遣る瀬無い思いがあります。
それは、信仰を持たない人たちが、お墓参りをすることです。

日本は、宗教的には仏教徒が多いと言われますが、江戸時代のキリシタン弾圧のため、
徳川禁制政策が取った、「宗旨人別改」の実施から、東西南北の幕府守護のお寺に、
全ての人を登録して、キリシタンを管理したことに始まります。

この政策は、キリシタンで無いことを明確にするため、徳川幕府が守護をする
当時のお寺に、今の市役所と同じく、住民登録をさせたことによるもです。

人々は、宗派や信仰に関係なく、登録した宗派寺院の檀家となり、この習いが引き継がれて
その家の宗旨、菩提寺となって、今日までその家の檀家思想が保持されているわけです。

この故に、寺院に属するので檀家の形となり、強制的割付制度の住民登録で、家や個人の
宗旨、信仰に関係なく、従いましてその根拠もなして、お盆が来ると、伝統的習いとして、
所属のお寺に布施をして、御先祖様を回向する形の、宗教的継承文化が、今も続いていると言えます。

簡単にその流れをお話ししましたが、従いまして、仏教の宗旨を知らない人、
回向の意味さえ知ら無い人が殆どであり、当然に信仰もなく、お盆のお参りをすることになるわけです。

今の日本の宗教の形態は、人を超える存在とその力に、怖れと敬意を寄せる心の形が、
宗教心として、一般化されてるだけで、仏教の信仰とは全く異なるものと言えます。

結論的には、現在の出家僧の葬儀と法要の儀式経済仏教と、多宗教派混合の無宗教の大多数の人々が、
お祭りの、神社仏閣などのイベント行事、儀式文化行事などに、心情的参加となっていてる
のが、現状なのです。
従いまして、今の日本には、真の仏教徒は、極少数であり、非常に残念と言わざるを得ません。

あなたは、仏教の宗派数が数千とも言われていますが、何故こんない多いとお考えですか。?
仏教経典は、多様な習得体系が、一貫した一つの宗旨で構成されてることをご存知ですか。?

                末法の今 真の仏教
posted by 猪僧老 at 15:10| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする