2014年06月22日

高齢者の正しい信仰

雨季が過ぎると毎年のことですが、お墓の雑草が気になります。


彼我とお盆の時季は、仏教継承文化のお墓参りが始まります。


私は仏教徒ですが、そのお墓参りは、人との違いがあるからです。


それを極々簡単に申しますと、


お墓参りは、仏教で言えば助行(仕事の副業)にあたるもので、
遺骨の入っている場所をこの時期に清掃するためのものです。

お参りとは回向のことですが、回向とは自分が積んだ功徳を
ご先祖の霊に差し向けて、そのことでご先祖が可能な限り早く、
成仏をさせる手助けをすることを言いますし、そのことが即功徳を
積むことですので、回向をして帰ります。


仏教の回向には、明確な決まりがあり、正しい信仰即ち修行で
なくては、回向をしても、その効力が無いと教えています。


それは、ご本人の勤めなのですが、通常の職業僧でも同じことなのです。

高齢になりますと、死の可能性が近づきますので、時に触れて
お墓やご先祖のことが気になるものです。


高齢で先の短い終活の一つに、正しい仏教によるご回向を行い、
自分とご先祖の成仏をご祈願すべきです。


仏教も諸々の歴史からゆがめられて、現在は宗教的継承文化となり、
葬式を含めて仏教行事は、形式化し形骸化してしまいました。


正しい仏教とは、日蓮聖人が唱える、本化仏教の「法華経」のことです。
形骸化された日蓮宗とは異なります。


現在は情報も豊富に入手できる時代ですので、ご自分でのご確認が
その判断の早道です。


人生の終焉である自分の死を迎えるに当たり、人生に心残りの無い、
信仰が、人生の重大事であり、ご自身の誠の勤めとなるものです。


posted by 猪僧老 at 14:40| 東京 ☔| 葬儀・信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

伯父の葬儀と信仰

昨日、95歳になるある人の姪御さんからのご相談で、伯父は高齢のため、何時、何があっても可笑しくない状態なので、その葬儀を、その姪御さんに一任すると言われ、その準備の相談に来ました。
とのことでした。

お話を聞きますと、伯父は妻と若い時に離婚し、その子供も含めて今何処にいるか分からない状況にあり、現在接触にある、その姪御さんに末後の依頼をされたと言います。

ご逝去は、お寺さんを呼ぶことになるでしょうから、仏式になるでしょう。

即ち末後を依頼されたが、自分の家族は宗教は、何も信仰していないので、あなたの教団に入信している、伯父のご葬儀とその後の、仏壇や位牌、納骨や永代供養、などの処理や手続き費用について、確認するために来られたわけです。

さて、身内のいない人の葬儀の仕方は、幾つかありますが、この手続き関係とは別に、仏式で行うことに、大いに問題があります。

昨今は、高齢者の一人所帯の方も増え、又、世間のの簡素化感覚から、宗教色のない、簡単な家族葬に人気が高まっていますが、もともと宗教的行事ではありませんので、形式的式典を上げて、費用をかけずに、本人をあの世へお送りする。事の儀式的式典となっています。

それなのに、何故仏式、又は、その他の宗教的式典をとするのでしょうか?
他に簡素化する葬儀の方法は、宗教色を入れずに、ご親族のみでお弔いを行うことができるのにです。

それでも形式的式典をすると言うことは、その亡くなられた方を含めた、自他納得の風習感と、義務的満足感を得るためで、これは、無宗教、無神論者の故の自己満足の死者の送り方なのです。

無神論・無宗教の方は、当然信仰の体験がなく、宗教の経典の正しい意味をご存知ないわけであり、手を合わせれば、死者が浮かばれると考え?。そして、浮かばれる?成仏する?と、考えておいでなので?

従って、簡単な家族葬で、派遣僧を呼び、各宗派で独自で定めたお経をあげて、一件落着として終わるのです。

この様な模擬的式典を、あなたの亡くなられた大切な方はお望みでしょうか?とお尋ねしました・・・。

仏教典には、人の意識には、死んで肉体と共に無になる「六識まで」と、亡くなっても残る「七識から九識」があります。「七識からは不滅の識」で、業になると説かれています。

結論的ですが、では、どの様にすれば、死者へ、生の世界から死への世界(仏界)へお送りする、正しいご葬儀になるのか?を、姪御さんにお話ししましたが、半信半疑のご様子でした。

仏教の「信仰」は、「簡単ですが深く、自分の仏心に関すること」ですので、又の機会にお話ししたいと存じます。とお話しお別れをしました。


末法の今 真の仏教
posted by 猪僧老 at 13:07| Comment(0) | 葬儀・信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする