2013年09月21日

特別養護老人ホームと敬老の日

敬老の日のお見舞えを兼ねて、今回も特老ホームに行って、近状を話し、 お天気で、今までの暑さもなく心地の良い日でしたので、車いすを引いて 30分程度の散歩としました。 以前にも述べたことですが、特別養護ホームは、現代の姥(うば)捨て山だと、 何時も思います。 古い昔のことと異なることは、昔は愛情があっても自分の食べる分が欠乏し、 口減らしで、親をや捨て、子供売るなどしか、生き延びる方法がなかったのですが、 今は異なります。 今は食べる余力があっても親を見取るまで、子供は自由でいたいのです。 特養老人ホームのケアは、最低の生きる場の提供です。 互いの煩わしさが無く、共に良い方法と考えますが、実態は、施設で生かされて いますが、希望も楽しみもない、時間を消費するだけに息を吸い続けている。 としか映りません。 施設の人も仕事として、動けぬ老人を抱え、多忙な時間で養護をしてくれているのを 見ますと、何も言えない気持ちになりますが、要は、今の世は全てお金で解決できる 様ですが、心の介護は心でしかできないことを、重みを持って考えるべきでしょう。 私もすぐ80代になる身ですが、考えさせられた一日でした。
posted by 猪僧老 at 10:56| 特別養護老人ホーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月21日

身体弱者の特別養護老人ホームは現代の姥捨て山か!!

昨日も知人で90歳になるご婦人の御見舞に行ってきました。

ご婦人は、特別養護老人ホーム(特養)に入居して、介護を受けていますが、リウマチと膝を患い、今車椅子の生活です。

そもそも特養とは、身体上や精神上に著しい障害があり、介護保険制度で介護の必要がある「要介護」の判定が出た人が利用可能な、介護保険法上の名称は「介護老人福祉施設」であり老人福祉法上の老人福祉施設(社会福祉施設)の一つで、居室は4人部屋(他床室)が中心で、認知症の方が平均的に8割程度入居しているようです。

対象者は、要介護度1〜5の人が利用でき、食事、排せつ、入浴など日常生活の介助や健康管理を受けられます。

施設内の生活は自由度が高く、費用(自己負担)は所得などで変わりますが、多床室で、月5万円〜10万円弱と言われます。


入所は申し込み順ではなく、スタッフらによる委員会で判定する例が多く、本人の要介護度、介護者の有無などを点数化し、必要性の高い人から順番を決めることが多いとされます。

彼女は、痴呆もあるようですが、何時も私との話は耳が遠いこと、前のことを思い出すのに時間がかかること、普通の老人よりも少し、物忘れが進んでいるのかな、と感じる程度で、色々お話ができます。

さて、特養でも何時も感じることですが、特老に関する法の制限です。


これは、他事でも問題の「個人保護法」です。

特養の入居者は、憲法の生存権の衣食住は守られますが、「個人保護法」で、本人と家族との関係が基本ですので、他人の関与は認めないものとなります。

その為に、特養の入居者は、その家族に恵まれない人達が殆どで、家族のケアは薄いですし、それに、家族が有っても、その立場が弱いために、自分の意思を伝えられない人が殆どなのです。

故に、それを第三者が変わり支援しようとしても、そり交渉事は、本人と家族の介入問題なりますので、施設では、第三者へご家族の連絡場所や保護者などを明かにしませんし又、それが分かっていても、そのお家族の意思や状況が壁となって、本人の意思が全く受け入れなれない状況が生まれるのです。

入居者は、ただ入居が保証されているのみで、些細なお小遣いも与えられず、ましてや、人の尊厳の、心のケアが見逃されているのです。

このような背景から、特養の入居が費用が安いということで、その待機者が後を絶たないわけですが、高齢者や身体弱者は、その入居について、孤立のリスクを心しておく必要があります。

特養での、身体弱者の老人の精神的孤立のつらさを考えますと、本当に心が痛みます。

私は、現在の「個人保護法」は、色々の面でむしろ悪法で、「犯罪を助ける法律」の利用面が多いと感じています。

又、社会における介護施設の在り方にも、まだ多くの課題が残されたままです。

経済生活重視して来た日本は、東日本大震災被害を支援した、多くの善良な人々の心が、そして知恵が、これからの日本の社会でも生かされる、社会介護環境整備が切望されます。

posted by 猪僧老 at 13:59| 特別養護老人ホーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする