2017年08月15日

2017年08月14日のつぶやき




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2017年08月14日

何故にお墓参りをするのか

8月13日、天気予報が昨日までは雨であったので、雨上がりと暑さが和らいだ日となり、予定の通りに朝から飯能にお墓掃除に出かけ、待っていてくれた雑草の掃除を、午前中で済ませることが出来た。

女房は病で墓参は出来ないが、子供たちはいとして避けているようだ。

私が、時折仏教の話をしたり、法華経の信心を進めるからであろうが、信仰と対峙しない子供たちを見ると、悲しさがこみあげてくる
これもGHQマッカーサーの戦後の日本滅亡教育で洗脳された日本国民の、自由や民主主義、そして信仰の自由をはき違えている現れと言える、

信仰は、森羅万象の中で、唯一、人間にしかできないもの、即ち、人間が生存する証であり、人間生活根本の精神基盤とるものです。

お墓参りも、その生存と生活の根本基盤の延長にあるもので、ご先祖と自分が向き合い、自分の存在を知り、ご先祖を敬い、自分のルーツを感じる人の行為の一つでありますが、ご先祖への回向は、仏教の法要であり、自分の仏教信仰の功徳を、ご先祖の「成仏」に振り向ける「回向」あり、その場が自分の法華経修行の道場となるわけです。

即ち、回向は、真の仏教「本化仏教」「妙法蓮華経」の、お題目でなくてはなりません。

お墓参りに来る人たちを含め、現代の殆どの人達は、このことに無知であり、悲しいことに、形だけの「お墓参り」となっているのです。

こんなことを考えながらのお墓の草取りですが、さて、自分の死後の成仏を成就するための、永代供養や回向を考えるとき、このお墓の残す是非を考えざるを得ない悩みと寂しさを感じています。



posted by 猪僧老 at 18:53| 東京 🌁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

2017年08月11日のつぶやき


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2017年08月11日

今日は「山の日」私の82歳の誕生日です。

8月11日は、昨年より「山の日」の祝日となりましたが、この改正趣旨は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」として、国民のお盆休みに繋げて、年間休暇を増やすことになったのです。

この年になると誕生日が如何のと言うこともありませんが、自分の人生の節目の一つであると思うと、去り逝く自分の記録を、偶にブログにでもと綴り始めました。

私の毎日は殆どが同様のリズムで生活をしていますので、朝は6時起きで軽体操を45分程度、ご本尊に朝の供物を供して読経を10分程度、朝食を作って感謝の気持ちで食事をし、片付けをしてから、その日の活動に入ることになります。

日常の活動も左程多くはありませんが、その週の定期的ゴミ処理や買い物、洗濯や掃除、関係機関の諸手続きや支払いなどの雑務、週一程度の会合の出席、土曜の運動をこなし、毎度の食事の支度や片付けを除くと、PCに向かい、先ずは総数、800〜1000件程度のメール処理を始めます。

この様に書くと、私は独り身のような感を受けるかもしれませんが、長期に患う妻と一緒て、その食事の時間や内容が異なるためです。

今日は珍しく朝の気温が22℃と低く、霧雨の朝の内に隣町まで自転車で、週一の買い物を済ませて、日常のリズムに戻っています。

午前中のブログは、錦織圭のロジャーズカップの初戦敗退と、ここの処の北朝鮮のミサイル発射予告のニュースでの、トランプ米大統領との相互威嚇内容が、危険領域にある事を平和ボケの日本国民が他岸の火事と見ている国民性に、非常な危機感を感じてこの警報記事を投稿しました。

また、お盆となりましたが、雨の日を避けたお墓の除草を13日に行う予定ですが、お盆が来るときになるのが、平和ボケと同様の、信仰を外れて年中行事となったお墓参りです。お墓参りは、亡くなった方の回向をするもので、自分の仏教信仰を亡き人に回し向け供養をするものです。

自分の信仰が無くして、供養は出来ませんし、ましてや、今の仏教はビジネス仏教で、真の仏教ではないことも問題です。長くなるのでやめますが、本当に心が痛みます。

話は変わりますが、今日の昼食は、貧乏世帯ではめったに味わえない、誕生祝にと下の娘が買ってくれた「ウナギのかば焼き」を有難く、そして美味しく頂きました。

さて、低年金高額医療老老介護の日常は、国の年金政策や、医療介護保険率増、消費税増、企業税優遇経済、臨時社員雇用制度、経済格差層の拡大、物価高、少子高齢化の拡大、などなどの対策は、どれを取っても国民が幸せになるための政策が感じられないことで、国の自営も自衛できない中、個人での自営を考える時代となっており、貧乏世帯の私は、この社会に生存するためのお金を稼がなくてはなりません。

頭の弱った老人でも、こんな事あんなことの難題が山積する今日の1日ですか、生きる事に、休みの無い、前向きな歩のリズムを続けて、自営の生活を刻んでいます。

今日の唯一の娯楽、韓国時代劇「推奴(チュノ)」」「奴婢を追う狩人」が楽しみ。


posted by 猪僧老 at 14:20| 東京 ☁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

八十路を楽しませる日本代表の活躍

掃除と朝食を済まし今日の1日が始まりました。

今日も、私のオワシスとなるスポーツが夜から始まりますが、この前に今日の日課を片付けなければと
思います。

昨晩の世界卓球の男子団体戦はウクライナと、女子はタイとの試合で、その一球一打に賭ける選手の
真剣さは、まさしく格闘技と言えるものと感じました。

男子は水谷隼、丹羽孝希、吉村真晴で、女子は、福原愛、伊藤美誠、浜本由惟、の順で、3勝先行の
勝負ですが、男女共に3-0の勝利となりました。

テレビ前での応援にも力が入り、又、一喜一憂も楽しみの一つです。

今年の男子は、本名水谷は変わりませんが、昨年は福原と混合で組んだ吉村真晴がシングルの代表と
なりましたが、その戦いぶりはウクライナの強豪プルイ・シエパを3-0で破る見事なものがありました。

女子は、今大会初出場の15歳の伊藤美誠が、そして17歳の浜本由惟が、五輪経験豊かなタイ選手を
相手に、堂々と戦い、共に激闘を制して3-2、と3-1で勝利し、その強さを証明しました。

今日はサッカーのオーストラリアの初戦で負けた、「なでしこジャパン」と韓国の対戦で、これに勝たなけ
れば、リオはサヨナラとなります。加えて、卓球は、男子はポルトガル、女子はドイツとの対戦です。

今夜に限らず今週は、気合を入れる1週となるようです。

これも八十路の健康法と楽しみながら応援します。



posted by 猪僧老 at 11:18| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

八十路の終活

時の経つのは速く今年も早くも3月になりましたが、寒暖を繰り返す中で、30mを超す強風の

被害が報じられ、地球規模の気象の変化が生じていることも感じるこの頃です。


八十路の老後生活で、毎日就活のプレッシャーが続いていますが、その中でブログは欠かせぬ

ものの一つです。


昨夜は、世界卓球の男女団体戦があり、男女共に3-0の完勝です。

女子は、石川、福原、そして3番手の16歳の伊藤美誠が苦戦をしながらも3-1で勝利でした。

ただ、なでしこジャパンは、オーストラリアとの初戦にまさかの1-3の完敗でした。


こんな中で、PCメモリーの不足が生じ、安価で最新OSPCを探すなど、色々終活に必要な

雑用は切れ目無く続き、先の短い日時を更に短くしています。


老老介護と貧乏年金の終活は政治に期待できなく、益々老後が苦しくなるじり貧地獄の現代では、

自己防衛の経済自立しかなく、自分の死後、病気の家内の生活を楽なものにできないかと願い、

幸いに未だ健康でいられる間に、多少なりとも前進をしたいもので、老骨の日々をPCで稼ぐ情報

収集とその学習努力をしています。


PCの最新OSwindows10は初めてであり、まあまあのSpec4万円弱の中古でしたが、

この設定と使い慣れるまで又も苦労するものと思います。


普通ですと、新しいことは気合の入る刺激ですが、歳を取ると、「気合を入れても気合が入ら

ない」自分がいて、腹立たしさを感じています。




posted by 猪僧老 at 11:10| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

世相と人の輪廻(3)平和とは

一般に平和とは、「戦争と平和」の両翼の対義語となり、その戦争や内乱などで、「社会が乱れて

いない状態」を言われます。

又、「誰でもが常時「幸せ」な生活を送れること」とも言われます。


専門家は、戦争とは「目に見える具体的なもの」ですが、平和と言うのは至って「抽象的な

概念なもの」だと言うことで、その持つ意味は、どちらが世俗のコミュニケーションとし

て伝わりやすいかと言う問題に関係していると言います。


それは、戦争など争いは人の頭に瞬時に現象化できますが、平和は抽象的で、その現象化や

言葉にすることが難しいことです。故に、有事における世論は、戦争を平和より優位に位置

付ける状態にあると言えるのです。


ここで、再度「平和」に論点を戻しますと、平和には、「国の平和」と「個人の平和」の

二極の観点があります。


「国の平和」とは、集団の平和であり、社会や家庭などの平和を「外観の平和」を指し、

「内観の平和」の、一個人の平和感と異なります。


ただ共通な言葉での「平和とは」は、その状態が「平穏」であると言うことです。


そして、「平和」は、「幸せ」を包含しますが、それは同一のものではなく、共に変化しな

がら繰り返す輪廻のものです。


人など動物は、己の動性感情を持ち、己の知性感情の欲求を含め、共に都度変化することで

争いの種となり、「平和」も「幸せ」も定まらない道理となるのです。


故に人は、「平和」と「幸せ」を生命の輪廻を超えて、恒久に求め続ける事になります。




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世相と人の輪廻(2)カネと幸せ

先に、近代化の流れは、「モノづくり」から「カネづくり」へと変遷したお話をしましたが、人の「幸せ」は、

近代化で進化したのであろうか。


世相を見ると経済的格差が広がり全般的にカネで「幸せ」になったと思えない現象が多々見受

けられるし、少数派の金持ちと言われる人たちの中でも、カネのために働き続ける「カネの奴隷」とな

っている人達も多く、マネーゲームの世界も、必ずしも幸せとは限らないことが分かる。


時代は、世界は、何を目標に近代化をしているのか。そして、人は何のために働き続けるのか

を考えざるを得ない。


もともと金も物と交換するために考え出されたものであり、カネもモノと考えると、「幸せ」

を作る手段とはなるが、幸せそのものではない。


カネが小額でも「幸せ」の人は多くいます。

それは、「幸せ」は精神的感情であるので、物質の「モノ」ではないからです。


こう考えると、「モノ」も「カネ」も生命での「幸せ」の手段とはなるが、「幸せ」そのもの

ではなく、人は「幸せとは何か」の本質を考えなくてはなりません。


又、「幸せ」を考えたとしても「幸せ」にはならないこともあり、「モノ」も「カネ」が少ない

人では「幸せ」の人がいる事を考えた時、「幸せ」の手段した「モノ」も「カネ」の目的は、

何を意味するものなのか。・・・




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2016年01月20日

世相と人の輪廻(1)

人は世相の流れに没落して生きているが、最近の世相を見ると大きく変わってきている。

人は生きるために、先ず糧を求めるが、現在は基本の「衣、食、住」がそれなりに満たされると
その他の事や物に目が向くが、現在のようにモノ余りの社会では、その不足時の物事を補う
お金が一番の価値を持つ。

ために、お金を求めるようになり、その為に働くが、そのお金を持つと時間が欲しくなる。
時間のために、お金を求める働きを止めても稼ぎ仕組みを考え、それで、時間を作るようになる。

時間も出来、お金も出来れば、自分の更なる欲求を満たすために、そのお金と時間を使う。

そして歳を取り高齢になると、その自分の欲求も低下し、他人の物事に目を向けるようになる。

しかし、現在の世相は、このシナリオ通りに成らない場合や人が大半であろう。
人も産業も同じで、世相に適合しなければ、適合できる世界へ移行して、その自由と安定化を図る。

必ずしも日本にいる必要もなく、自己の自由と安定を図る。

そして、そのお金と時間を使い自己の理想のシナリオを求めながら人生を終わる。
これは、殆んどの人の望むところと言えよう。

しかし、世界の国々が分化する現在の世相は、グローバル経済の中で、固有のアイデンティテー
や文化を求めるようになり、経済の統合化とは矛盾するムーブメントが産まれてくる。

人が求めるお金と時間の自由は、中東のシリア難民などが示すように、1たび地域紛争が生じると、
そのシナリオはもろいものであることが分かる。

正月も過ぎ、この1年をどう過ごすか、どう生きるか、など、残り少ない人生にある、私に、
高齢経済弱者のシナリオは何が理想かを考えさせられる。



posted by 猪僧老 at 15:27| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

八十路を過ぎて思うこと

人の身体は、無酸素体質で身体が成長し、成長が止まると有酸素体質が優位となり、
そこから高効率有酸素体質に変わり、佳澄を食べて生きられる仙人に成れると言う。

確かに、母の胎内の無酸素呼吸からミイラになるまで枯れてい切れる事が、人の生き方の
醍醐味と言えるのでは、と最近感じるようになった。

八十路を過ぎても一向に「死」を感じない現在であるが、「死」が血数いている事は、
冷静に感じる事ができる。

それは、若い時と比べて無理が効かなくなったことである。
昔から歳の節目に衰えると言われ、60代、70代と過ぎて、その都度心身の衰えを一部を
肌身で感じているが、80代に入ると、頭、気力、体力、集中度合いなど、全身的な衰退を
感じ、100のものが80で精一杯の感じである。

食が細くなり、身体の動きが少なくなり、坐して長らえる時がいずれ来るはずで、もしかして、
仙人の領域に達するかもしれないと思う。

病気をしたとしても、この歳となるとそれが寿命として受け留められると感じていて、今更
バタバタする必要はない。

ただ、困ったことの一つは、この人間社会では、自分の葬式代と永代供養の予備金が
残るかどうかで、それが気になる。

長生きもいいが、ころ合いで死にたいと思うが、こればかりは、体が行きたいと支えてくれる
以上は、裏切ることはできない事で、ままならぬものと悩むのである。

身体の応援を借り、それに感謝して、最後まで自分のミッションに歩むのが生きると言うこと
であり、老いても金ではなく、それが人の道と言うものであろう。




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posted by 猪僧老 at 16:27| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする