2015年09月19日

終活と余命

長く生きていると多くの経験をすることは当然のことであるが、
先を数える身となり、改めて感じる事は、それらの後始末が、
今に効いてくると言うことです。

私の終活は、その為に結構大変なものとなっている。
事の大小はあるものの、夫婦のこと、子供の結婚後の問題、
借金のこと、介護のこと、身体のこと、そして、今後の生活の
事などが山積し、力の無くなった年寄りには、いささか堪える
問題です。

お金で解決する問題も半分はあるが、その他は、交際や
長年個々に蓄積された考え方のことなりも大きい。

就活は、これらが凝縮された生活となるので、体力、資力、
知力が衰えた処理と対応となるので、解決が遅くなり、
生活の焦りとなっている。

歳を取ると、時間が早いとはこのことであろう。

他に悠々自適の人々を見る時、未だに減衰しない自分の
過去の波動が、その残像として蘇り、新たに余命の必要性を
感じている。



posted by 猪僧老 at 10:46| 東京 🌁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月16日

「平和」を望む資格

8月に入ると恒例の「原爆の日」や「終戦記念日」など、戦争の惨事を思い起こす行事が
広島や長崎で行われますが、この日は、「二度と戦争を起こしてはならない」とする戦争
犠牲者300万人と、その原爆被害者約20万人の声を繋いで行くものとなっています。

日本国憲法はこの理念をうたったもので、国民の「平和」への拠り所となってきましたが、
政府は理念だけでは、現実的な戦争や国際紛争を避ける事が出来ないとして、憲法改正
や、集団的自衛権容認の政策を打ち出し、「戦争をしない」から「戦争を回避する」方策に変更
しました。

「戦争を避ける」政策には、万一には「戦争をする」が含まれており、この懸念が国民を
二分する論議となっています。

この論議は、「戦争をしない」は一貫した強い信念が必要であり、「戦争を回避する」は、
信念を曲げた、戦争への道を開く防衛手段で、この間には、今後の外交政策にも可也の
差異が生じます。

即ち、日本は戦争はしない国から、他の国同様戦争もする国に変化したことです。

戦争を起こすには理屈も手段も不必要で、その正邪もありません。
戦争の正義は勝つことしかなく、それしか国の生存もありません。

一度、戦争や紛争が勃発すれば、国民の命も生活も容赦なく犠牲となります。

人類の出現以来、人類には「平和」は「武力の覇権」であり、金権主義が社会をまかり通る
と同じことです。

日本は、高い平和の理念を世界に掲げて、その国民の一貫した行動で世界の信頼を集め、
世界を味方とするムーブメントを創り上げる活動が最も重要な平和戦略とならなければ
ならないのです。

若い世代が、その様なムーブメントを起こして、戦後の70年の米国依存の安寧から、国際的
平和のリーダ格となる努力を重ねて、平和推進外交を質的に変えて、誇りある日本の一貫した
世界平和推進外交を実現して欲しいと切望する日々です。


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posted by 猪僧老 at 17:01| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

傘寿の日

傘寿の朝、0時に就寝し6時起床で何時もと変わらぬ日を迎えましたが、何か節目を感じるもので、
今日の一日の平穏を祈っていました。

猛暑の最中の中、台風が関東沖を北東に遠ざかっていて、曇りで少し風がある過ごし易い感じがします。

起床後、メールを確認するのが日課で、相変わらずの数百のメールを処理しなくてはなりませんが、
今日は久しぶりに、この日の思い出にと、このブログを書くことにしました。

今年を振り返りますと、福島原発の後処理問題と九電の薩摩川内(せんだい)の再稼働、改憲と集団的
自衛権、シラクの人質殺害事件、消費増税、年金と医療費の見直し、円安と物価高、TTPの最終調整、
非正規社員の拡大、待機児童施設、未婚男女の拡大、人工授精、産業の環境経済格差、少子高齢の
拡大、若年者の自殺や高齢者の孤独死の増加、若年者の無差別殺傷、精神病の増加、辺野古米軍
基地の反対、などなど、個人問題はもとより、国の基盤に絡む問題が山積していて、明るい日本の将来像
が見えていません。

ただ昨今、相撲、柔道、バレー、ジャンプスキー、水泳、サッカー、短距離、などで、世界的な台頭を見せる
アスリートが出てきており、その最近の注目は、テニスの錦織のシティー・オープンの優勝で、世界ランク
4位になったことです。

錦織のスアー優勝は、これで10勝目で、今までの最多伊達公子(クルム伊達)の9勝を上回る快挙です。

傘寿の今日、これらの世界に今で元気に生きられていることを素直に感謝し、未だに未達の諸終活テーマ
の中で、最難関の、「正しい仏教」の復興に努めたいと思います。

「法華経」に在ります、「人の成仏」と仏教の平等による「人類の世界平和」を実践する社会を目指すこと
が、人の生き甲斐であり、人の人生の理想と考えるからです。

「傘寿」 万歳!!





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posted by 猪僧老 at 14:25| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

高齢となって尚「生きる」に執着するのは

つい最近、3000人の臨終に携わった医師のこんな記事が目に入りました。


「死ぬとき後悔するランキング10」は次のようになっています。


第1位 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

第2位 美味しいものを食べておかなかったこと

第3位 自分の生きた証を残さなかったこと

第4位 自分のやりたいことをやらなかったこと

第5位 行きたい場所に行かなかったこと

第6位 タバコを止めなかったこと

第7位 子どもを育てなかったこと

第8位 仕事ばかりだったこと

第9位 感情に振り回された一生を過ごしたこと

第10位 健康を大切にしなかったこと


私も先が読める年になって、改めてこの記事を見て考え直してみましたが、後悔するのではと考えられるテーマに、第3位 自分の生きた証を残さなかったこと、第4位 自分のやりたいことをやらなかったこと、第8位 仕事ばかりだったこと、が当てはまるのかな?と考えます。


「第8位 仕事ばかりだったこと」と「第4位 自分のやりたいことをやらなかったこと」は、家事も「家の仕事」に入れて、現役の激務と、退職後は家内が長期の病弱となり、現状は、高齢と経済弱者で、家事や合間を縫ってのブログ活動などで、未だに暇無し的日常を送っているためです。


そして、「第3位 自分の生きた証を残さなかったこと」については、この様なことでまとめる時間とその備忘録が、中々作れないと、言い訳になります。

ただ、この件に関しては、自分が何者かと論じて見ても、それは子供の目から見て価値があるものであるかが問われることで、現在の自分の生き方にが「証」で、自分なりに意味があれば良しとしています。


未だお迎えには少しの年月があるとことですが、やるべきことが残るとも考えられ、故に、死に際の後悔の少ない死を迎えたいと考えた記事でした。




posted by 猪僧老 at 13:12| 東京 🌁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

心に響いた一言「見栄を張るより胸を張れ」

「お節句の日」普通であれば、お人形を飾り祝杯の一つも挙げている日に、88歳の友人の母の
告別式に参列した。

天気予報は深夜からの雨と報じていたが、式場に行く途中から小雨の降る何とも気の重くなる
感があったが、式場では、その母の臨終の様子をお聞きして、誠に感心の逝去でした。

その母は、逝去の1日前に何時ものデーサービスに通い、夕方に帰ってきて、何時ものように
横になったと言います。

デーサービスでは、好きな童謡を皆で合唱しての帰宅でした。

夕食になって起こしたのですが、これも最近長寝する傾向があるので、声はかけたが寝かせて置く
ことにして、朝になっても起きてこないので、呼びに行くと、他界していたと言うのです。

デーサービスから朝までの約半日間で、眠ったまま永遠の眠りに就いたのです。

これこそが、枯れたし全体の死の姿であり、その死相は真に素晴らしいものでした。

友人の母は、戦時中に、10人姉兄の次女で、父の戦死で女手一つで姉兄の世話を一手に引き受けて
生活していたと言います。

そしてある日、弟が友人の家に冷蔵庫が入ったのを見て、羨ましがり、家にも冷蔵庫が欲しいと話し
たところ、その母は、「見栄を張るより胸を張れ」とその弟を諭したそうです。

「お節句の日」普通であれば、お人形を飾り祝杯の一つも挙げている日に、88歳の友人の母の
告別式に参列した。

天気予報は深夜からの雨と報じていたが、式場に行く途中から小雨の降る何とも気の重くなる
感があったが、式場では、その母の臨終の様子をお聞きして、誠に感心の逝去でした。

その母は、逝去の1日前に何時ものデーサービスに通い、夕方に帰ってきて、何時ものように
横になったと言います。

デーサービスでは、好きな童謡を皆で合唱しての帰宅でした。

夕食になって起こしたのですが、これも最近長寝する傾向があるので、声はかけたが寝かせて置く
ことにして、朝になっても起きてこないので、呼びに行くと、他界していたと言うのです。

デーサービスから朝までの約半日間で、眠ったまま永遠の眠りに就いたのです。

これこそが、枯れたし全体の死の姿であり、その死相は真に素晴らしいものでした。

友人の母は、戦時中に、10人姉兄の次女で、父の戦死で女手一つで姉兄の世話を一手に引き受けて
生活していたと言います。

そしてある日、弟が友人の家に冷蔵庫が入ったのを見て、羨ましがり、家にも冷蔵庫が欲しいと話し
たところ、その母は、「見栄を張るより胸を張れ」とその弟を諭したそうです。

母は、幼少から父から受け継いだ法華経の信者で、若くして確りとして信仰心をもって家事の切り回し
をして、多くの兄弟を助けてきた人で、この言葉は、単に言葉の問題ではなく、そのままの心を伝えた
もので、「足るを知り」、他の贅沢には全く動じない心の持ち主であったと推測されます。

法華経には、「その人の成仏はその死相に現れる」と教えがありますが、胸を張ってその生涯を閉じた
その美しい死相は、未だ目に焼き付いています。

私も戦中生まれで、この「見栄を張るより胸を張れ」の言葉は知っていましたが、昨今は忘れていました。
久々に、葬儀の謝辞に、友人の母の紹介でこの言葉を聞き、今の日本が忘れている生活の精神的姿勢の
在り方を諭された感で、心地良い帰路となりました。



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posted by 猪僧老 at 19:29| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

高齢の年齢は加速する

師走の時が去り一瞬の正月気分を持ったが、アッツと言う間の3月となる。

本当にアッツと言うまで、年齢も平均年齢を更にまた一つ越えて、終着点に近ずき、
振り返るまでもなく、昨年の残し物が減らずに、又も今年追われる始末です。

もう終活との時期で、後腐れの内容に、身元の整理に掛らなくてはならない時点で
未だ、これからどう生きようかとあがいている。

これも、今までの人生の過ごし方の残骸に他ならないが、少なからず、人のため
世のためと懸命に生きてきたつもりであるが、その功罪を含めその残骸が、今自分の
身に重しとなっている。

現役当時は、友人や部下の家族の窮地を救うことも数度行ってきたが、その一部に
持ち逃げされたり、裏切られたりの経験が今も苦く残っていて、病気の妻と家族に
申し訳ない気持ちが続いている。

何とか、長期の治療中の妻を元気にして死にたいものと、老体をもがいている。

片や、若者のネットビジネスでの悠々自適の生活を見ながら、高齢社会の一隅に、
先を恐れて生きる自分の力不足とその惨めさがある。

が、そんなことを気にしている間に、また一つアッツと間に歳を取ると思うと、先に進む
ことが自分の生きがいと言うしかない。



posted by 猪僧老 at 15:35| 東京 ☁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

東京マラソンの日

今日は東京マラソンの日ですが、あいにく雨模様の日の予報ですが、雨は降っていないスタートです。

天気予報では、強が「春一番」の人なるかもと話していますので、荒れなければと

気掛です。


また今日は朝から、昨日まで着ていた毛糸のジャケットが見当たりません。

毛糸のジャケットですので、大きさがあり、狭い一室の中のミステリーです。


年の性なのか、物忘れとは言えぬ癪に障る出来事です。


昨晩は、痴呆症のテレビを見ていて、痴呆症には、足の太ももの筋肉の「大腿筋」を鍛えることで痴呆症が改善されるとか、また、自分の好きな音楽を聞かせると、忘れたことを思い出すなどの話があり、最近は各方面より、色々の方法が報道されています。


痴呆症は最近の大きなテーマとなってきましたが、その前は肥満対策の生活習慣病が話題となり、ウォーキングが推奨されてきました。


しかし最近では、老後の歩き過ぎは推奨されず、むしろ短時間の軽い運動が推奨されています。


医学の世界も、次々と変化しますので、何が身体に良いのか混乱します。

様はその中から、自分ができるもので長続きのするものを取り上げアレンジして行くのが良いようです。


今東京マラソンは10km近辺を2時間5~10分のペースで、大凡50名程度の集団が、走っていましたが、アジア大会の日本のエース松村康平が、その集団から3秒ほど遅れて走っています。


そして、15km点では、30名ほどの集団となっています。松村は100m以上の差となり今日の記録が危ぶまれる展開となってきました。


22km時点では、21名となりました。


そろそろマラソン観戦をします。



posted by 猪僧老 at 10:17| 東京 ☁| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

政治の怠慢の付けを国民が払う緊急事態

80を継ぎると光陰矢のごとくの感がまた高まる

師走、新年と忙し過ぎる感がしたが、もう1月も終わり、節分が来る。
日々の生活感はあるが、長い人生の付けが未だに足を引っ張っている感だ。

さて、今日のニュースに、4月から、この10年間手付かずの
「年金マクロ経済スライド制度」が実施されるという。

この10年、賃金と物価の低下があったデフレ経済で、年金はその調整をせずに
今回から30年を掛けて、その過払い支給の調整を行うと言うのだ。

この間、現役者の平均賃金は低下し続け、苦しい思いを耐えてきたが、
年金者は、実質値上げの恩恵を受けてきたツケが、今回から返してゆくことになる。

理屈は通るが、この間で手が付けられなくなった財政で国税危機となり、デフレ
脱却をうたって株高を起こし、このインフレ分で国の赤字を減らす、理屈の政策の
付けが国民にかぶさり、更に物価高と諸税増に消費増税が加わり、国民中間層
の資産の目減りと、貧富の2極が拡大している。

この制度の年金者のつけの支払いは、30年続くと言うので、現在の殆んどの
年金者は、今後の生涯を借金払いで過ごすことになる。

一部こんなことを考えながら、高齢低年金生活を暮らす日々は、楽しいはずがない。

ただ考えることは、戦後の後半の30年の国の政策は、何を国民に残してきたのか、
経済政策に明け暮れ、しかも日本経済は悪化の一途をたどる結果となったこと、
そして、国民の幸せや生活が向上しないこと、この責任は国民に押し付けられている。

この30年間、政治は何をなしたのか。政治の怠慢を国民は止められない。

2月を迎え、高齢者自己の生活を守るには、自分だけしかいないと自覚する。




posted by 猪僧老 at 13:47| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月28日

八十路の節目に

今年も僅か3ヶ日となりました。

高齢となって遠い昔を振り返る時に、昔は高齢となった長老が、家族の中心の位置を占めて正月を
迎えていた記憶がありますが、昨今は老夫婦のみや、正月に一時的に家族が集まると言う感じで、
長老の家長的存在の影が薄まっているようです。

私の祖父は、朝晩仏壇にお経を上げていた光景を今でも覚えていますが、私もその点は同じ生活の
一部ですが、掃除や洗濯、食事などは自分でやっています。

新年の準備で、何時は手の届かない各所の掃除や、年に一度のエアコンの掃除も終えて、ホット
一息としたい処だが、近年に始めたパソコン作業が日課の一部として定着となり、家事の合間は殆ど
その時間を過すことで生きている様なものとなっている。

その他くれは何処でも同様と思われるが、年の終わりの節目と、知人友人との忘年会や挨拶など、
そして恒例の年賀状書き、正月の買い物などなど、多忙とけじめの月となり、現役のときと同様以上
に本当に忙しい。

そして、八十路の節目も身体の節目となると言われているので、これも気にすると先の見えた余命
での終活は、家族に対し、一段と自分の在り方にその責務を感じる。

幸い、身体がまた動くので、動き放しで進めている感があるが、年の節目を意識しながら、後の終活
目標を完了するのに、可なりの日時を必要として懸念される。

現代の長老は、年金の貧乏人生で、孤軍奮闘的「足るを知る」の生き方が向いていると自分を納得し、
又の良き新年を期待している。

現代の長老は、その節目節目で家族との団欒を持つ家庭生活などの、楽しい晩年であろうか。
そんな昔のゆったりとしていた家族環境が懐かしく感ずる。




posted by 猪僧老 at 13:28| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月26日

特別養護老人ホームに老婆を訪ねて

隣町の特老ホームに入居していて、車いすの生活をしている法華経のご信者の老婆がいる
のですが、毎月その様子と、ご一緒に御法様にお看経(お参り)をするために、訪問している
のですが、今日は少し寒いながら天気がよく、お看経をした後、昼食の前に外に散歩に出かけ
ました。

太陽の日が何時もより温かく感じましたが、師足ともなると矢張り外は冷たい風が吹いて、
老婆には、上っ張りとひざ掛けをしてきた事が良かったようだ。

車を止めて、耳が遠くなった老婆に、困っている事は無いかと尋ねると、何も無いと言います。
息子さんとは、たまに会っていますかと尋ねると、全く会っていないと言います。
身体の悪いところで気に成るところは無いですか。と問いますと、お陰さまで何もありません。
と言います。
家族の誰にも会えず、寂しくないですか。と尋ねると、寂しくないと言います。
もう正月なので、来年は幾つに成るのですかと尋ねると、分かりませんと言います。
では、生年月日は何日ですかと尋ねると、暫く考えていましたが、大正11年との返事があり
月日は覚えていないと言います。

大正11年とは、今93歳と言う事で、長く知人であるのに歳は聞かずにいましたので、未だ、
80代と思っていましたので、いささか驚かされました。

施設には、その資料はあるのですが、個人保護法から閲覧はできないので、その年が正確か
どうかは分かりませんが、子供にも見放されて、何時他界するか分からない状態ですので、
もしもの時の他への連絡や、訃報等に、正確な年齢は必要となります。

長男が近くに居るのですが、全く接触が無く、連絡もしても返事が無い状態で、今何事も無い
状態が、少しでも長く続いて欲しいと願うばかりです。

ただ、一人で特老ホームで生活していて、欲も無く、家族にも会わずに、何も考えずに淡々と
人生を過ごしている姿を見ますと、これもまた幸せの在り方と感じた次第です。




posted by 猪僧老 at 19:35| 東京 ☀| 人生ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする